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「ジョン・レノン」が銃殺された「1980年」。

 日本の自動車生産台数が…世界第1位になりました。

 私はこの年の四月、都内で講演を頼まれました。

 米国在住で一時帰国したK氏と、某出版社N編集長、そしてN編集長の友人で相談役の私の3人が「千駄ヶ谷区民会館」で講演会を行ったのです。

 …良く晴れた春の日でした。

 本の著者K氏は、お座なりの講演に終始し、N編集長はいつもの話だったので、初登壇した私の話が、聴衆の耳目を集めるのは、当然の事でした。

 帰国して間もない私は、まだ研究基盤ができていない時でしたが、私の講演は大変面白かったらしく、聴衆から拍手喝采を受けました。しかし、これが後に大きなトラブルとなったのです。

 清水美裕…「22歳」。人生の「始まり」でした!

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  講演のあと、私の支援活動が開始され、講演を聴いてくれた人々が、私のために「カンパ」を募ってくれました。
 
 やがて支援チームができ、私はお金に関することを全てを彼らに任せました。

 妙な噂が耳に入りました。
 「清水はN編集長が運営するグループを乗っ取る気だ」
 身に覚えのないことでした。
 一体誰が?…やがて火元が判明しました。著者Kでした。
 彼はN編集長に私が危険人物だと吹き込み、引き離そうとしたようです。 …その本心は、今もわかりません。

 しかし同意したN編集長によって私はマスコミに汚名を流され迷惑を被りました。先の講演会で喝采を浴びる筈の対象が自分でなかった事でKは私を嫌ったのでしょうか。…しかし、「詐欺師」呼ばわりは、名誉毀損に当たります。

 支援活動は停止され、多くのメンバーが去って行きました。

 彼らが提供した研究費は遂に私に届くことなく、私は実家への影響を避けるため一人家を離れ、田舎に身を隠しました